P.F.ドラッカー『マネジメント 第2章』【要約】

‐第2章 マネジメント・ブームとその影響 まとめ‐

第二次大戦後、各国ではマネジャーとマネジメントの育成・開発に向けた取り組みを体系的に推し進め、それを結果に結びつけることで経済と社会が急発展する。当時のマネジメント・ブームは終焉したが、社会の諸組織、とりわけ企業におけるリーダーシップの担い手であるマネジメントには共通の務めが与えられた。つまり、生産性が上がるように仕事を組み立てること、高い生産性に加えて達成感が得られるように働き手を導くこと、自社が社会に与える影響に責任を負うこと、組織の存在目的に沿って結果を出すことに責任を負うことである。また、経営者の本分はマネジメントである。経営者は専門分野に閉じこもらず組織が使命や存在目的を果たせるよう、マネジメントの基本を理解し実践しなければならない。

 

本章からの抜粋は以下とした。

1. マネジメント・ブーム ~ 発展途上国でのマネジメント

・「マネジメント・ブームは終わりを告げ、これからはいよいよ成果を高める番だ」。これから先二〇世紀の終わりまでは、これがマネジメントの世界の合言葉になるだろう。

・(戦後)米英の生産性研究チームが交流を始めてから数年の後、マーシャルプランが動き始め、マネジメントはその柱に据えられた。・・・(中略)・・・このプランが成果をあげたことでマネジメントの信仰に火がついた。突如として、誰もがマネジメントについて語り、勉強を始めた。

・マネジメントによって経済と社会が発展し、ひいては貯蓄と投資が刺激される。・・・(中略)・・・第二次大戦後に経済と社会が急発展した国や地域はみな、マネジャーとマネジメントの育成・開発に向けた取り組みを、揺るぎない決意のもとに体系的に推し進め、それを結果に結びつけたのだった。

2. マネジメント・ブームの終焉

・マネジメント崇拝が終わった主な理由は、「マネジメントとは万能薬ではなく、挑戦であり骨折りである、マネジメント手法はたとえどれほど洗練されていても魔法のような力はない」とマネジャー自身がふと気づいたことだろう。

・(マネジメント・ブームの)第一の教訓として、社会の諸組織、とりわけ企業におけるリーダーシップ、方向づけ、意思決定などの担い手であるマネジメントは、あらゆる国、そして原則としてあらゆる社会で同じ務めと向き合う普遍的な職能である。

・生産性が上がるように仕事を組み立て、高い生産性に加えて達成感が得られるように働き手を導かなくてはならないのだ。自社が社会に与える影響にも責任を負わなくてはいけない。・・・(中略)・・・組織の存在目的に沿って結果を出すことに責任を負う。

3. 専門分野としてのマネジメント ~ 専門家集団を超えて

・以上の点は何よりも、経営者の本分はマネジメントであることを意味している。・・・(中略)・・・ここからは、マネジメントならではの技能があることがうかがえる。ひとつには組織内のコミュニケーションである。そして不確実な状況のもとで判断を下す技能。さらに、戦略プランニングというまさに事業運営に関わる技能がある。

・技能や手法だけをいくら知っていたとしても、マネジメントの基本を理解しない人物は、経営者の名に値しない。せいぜい「専門屋」の域にとどまっている。

・経営者は「専門家」の域を超える必要がある。専門分野の殻に閉じこもっていてはいけない。・・・(中略)・・・経営者は匠でなければならない。というのも、その第一の責務は、組織が使命や存在目的を果たせるように、その舵取りをすることなのである。

4. マネジメントと社会

・マネジメントとはひとつの専門分野なのである。にもかかわらず、文化に左右され、それぞれの社会の価値観、伝統、習慣などに従うことになる。

・社会の価値観、伝統、信条などを活かせば活かすほど、マネジメントの実績があがるのは明らかである。

・政治・経済の両分野で多極化したが、それと同じくマネジメント分野でも多極化が進んできた。・・・(中略)・・・多くの国々はみな、お互いのマネジメントから学ばなくてはならない。