P.F.ドラッカー『マネジメント 第31章』【要約】

‐第31章 マネジャーとその仕事 まとめ‐

マネジャーの仕事はふたつある。ひとつは、個を全体へまとめあげ、この総和以上の生産性を引き出す仕事である。マネジャーは人材の強みを活かし、弱みを軽減することが求められる。ふたつ目は、判断を下したり、行動を起こしたりする際には必ず、当面と将来の要請をうまく調和させる、というものである。そして、マネジャーの仕事は五つの基本的要素からなり、それらの歩調が揃うと、様々な経営資源がひとつにまとまる。

(1)目標の設定

(2)組織づくり

(3)動機づけやコミュニケーション

(4)業績評価

(5)人材育成

マネジャーがうまくこなすべき仕事は学ぶことができる。ただし、ひとつだけ、誰からも学べない資質がある。天賦の才能ではない。人格である。

 

本章からの抜粋は以下とした。

1. マネジャーはどのように仕事をこなすのか

・マネジャーの具体的な仕事はふたつある。ひとつは、個を全体へまとめあげ、この総和以上の生産性を引き出す仕事である。・・・(中略)・・・マネジャーには、手持ちの経営資源、とりわけ人材の強みを活かし、弱みを軽減することが求められる。全体を本当の意味でひとつにまとめるためには、これしか方法はない。

・企業には主なだけでも、事業マネジメント、働き手と仕事のマネジメント、地域や社会との関係性のマネジメントという役割があり、マネジャーはこれらをうまく調和させなくてはいけない。

・全体をまとめあげるためには、何をするにしても、➀全社の活動ぶりや業績と、②成果をあげるために歩調を合わせながら進めるいくつもの取り組みを、同時に考慮しなくてはならない。

・マネジャーの仕事のふたつ目は、判断を下したり、行動を起こしたりする際には必ず、当面と将来の要請をうまく調和させる、というものである。・・・(中略)・・・これらふたつの側面を完全に調和させるのは不可能だとしても、せめて釣り合いは取らなくてはいけない。・・・(中略)・・・ふたつの時間軸に沿って活動しながら、自分の部署と会社、両方の業績に責任を負うのだ。

2. マネジャーの仕事

・マネジャーの職務には、科学的管理法による体系的な分析を応用できる。・・・(中略)・・・マネジャーの仕事は五つの基本的要素からなる。それらの歩調が揃うと、様々な経営資源がひとつにまとまり、生命体のように成長していくのだ。

  1. 目標の設定である
  2. 組織を取りまとめる
  3. 部下の動機づけとコミュニケーションを担う。さまざまな職務に責任を負う人々を、チーム別に編成する
  4. 業績評価がある
  5. 人材の育成に取り組む。ここには自身の能力開発も含まれる

・これらに魂を吹き込み、具体的で意味のあるものにするものは、マネジャーの経験だけだ。

3. 人材はマネジャーにとって経営資源である

・マネジャーは、人材という特殊な経営資源とともに仕事をする。人材は特殊な資源であるため、一緒に仕事をする人たちにも独特の資質が求められる。人間を「働かせる」以上は、必ず相手の能力を伸ばすことになる。どの方向に伸ばすかによって、相手が人間として、そしてまた経営資源として、果たして生産性を高めるか、それともまったくあげられないかが決まる。

・人材を育成するためには根本的な資質が求められ、その資質は、技能を身につけさせたり、人材育成の大切さを訴えたりしたところで、生み出すことはできない。その資質とは、人間としての誠実さである。

・最近では、人々に愛情を注ぎ、手を差し伸べ、うまく接することがマネジャーの要件だとしきりに説かれている。だが、それだけでは決して十分ではない。・・・(中略)・・・部下に対しても自分に対しても、仕事への厳しさを要求する。高い基準を示し、その基準が満たされるよう期待する。

・「何が正しいか」だけを考え、「誰が正しいか」などという点は決して問題にしない。自身はたいて頭脳明晰だが、他人を評価する際に、誠実さよりも頭の良さを重視することはない。このような資質を欠いたマネジャーは・・・(中略)・・・厄介者である。「マネジャーとしてふさわしいとはいえず、紳士でもない」という評価を下すべきである。

・マネジャーがうまくこなすべき仕事は学ぶことができる。ただし、ひとつだけ、誰からも学べない資質がある。後からでは身につけられず、あらかじめ備えていなくてはならない要件がある。といっても、天賦の才能ではない。人格である。

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第4回 ドラッカー・読書会 2024年3月16日(兵庫県) - こくちーずプロ

P.F.ドラッカー『マネジメント 第30章』【要約】

‐第30章 マネジャーの本質とは何か まとめ‐

マネジャーの本質は何か、誰をマネジメント層と見なすべきかは、じっくり考えなくてはならない。その際には、従来の定義から出発せずに仕事そのものに着目して分析を行うことが重要となる。プランニング、段取り、全体の取りまとめ、成果測定などがマネジャーの仕事と見なすことが出来る。また、組織の中で誰がマネジメント責任を負っているかを見極める第一のモノサシは、貢献への責任である。権限というよりも役割こそが、判断基準、そして組織原則とされるべきである。

 

本章からの抜粋は以下とした。

1. 従来の定義 ~ マネジャーの新たな定義

・マネジメント草創期には、ほかの人々の仕事に責任を持つのがマネジャーだと定義されていた。・・・(中略)・・・しかし、この定義はおよそ満足いくものではなかった。というよりも、満足のいくような定義などありえないのだ。

・従来の定義はまた、職務そのものではなく、職務をこなすためのルールに焦点を当てている。

・マネジャーの本質は何か、誰をマネジメント層と見なすべきかは、じっくり考えなくてはならず、しかもことは緊急を要する。

・従来の定義から出発せずに、仕事そのものに着目して分析を行うと、「部下たちの仕事に責任を負う」というこれまでの定義は、マネジャーの主たる特徴ではなく、従たる特徴に焦点を当てているという、という結論にたどり着くに違いない。

・プランニング、段取り、全体の取りまとめ、成果測定などがマネジャーの仕事と見なせるだろう。・・・(中略)・・・何より、結果を出すためには、自分の仕事の成果を応用する立場にある他分野や他職能の人々とも、横方向の足並みを揃える必要がある。

・同じく、「マネジャー」は下方向、つまり部下の仕事との整合も考えなくてはならない。従来のマネジャーの定義は、この点を重視しているのだ。部門が成果を出すうえでは、周囲の人々と足並みを揃えることが最も重要だが、これは横方向の関係にあたり、自分の管理権限が及ばない相手と共同歩調をとることを意味する。

・組織の中で誰がマネジメント責任を負っているかを見きわめるうえでは、「部下を指揮しているかどうか」は第一のモノサシにはなりえない、という点を強調しておいた方がいいだろう。第一のモノサシはむしろ、貢献への責任である。権限というよりも役割こそが、判断基準、そして組織原則とされるべきである。

・このような人を何と呼べばいいのか。・・・(中略)・・・最も望ましいのは・・・(中略)・・・「マネジメント・グループ」を意味する一般的な表現をそのまま活かすことだろう。

2. プロフェッショナル ~ プロフェッショナルの肩書、役割、報酬

・プロフェッショナル、とりわけスペシャリストは、マネジャーを必要とする。・・・(中略)・・・マネジャーが「周りの納得を引き出せないかぎり、仕事の効果はあがらない。納得を引き出すためには、『顧客』、つまり、組織内のほかの人たちのニーズ、仮説、限界などを探ることが欠かせない」とスペシャリストに理解させなくてはいけない。

・本物のプロフェッショナルはある意味、マネジャーよりも「優位」にいるだろうし、それがあるべき姿である。

・マネジャーとプロフェッショナルの肩書き、役割、報酬をどうするか、という厄介な問題に関しては、完全な解決は望みようがない。・・・(中略)・・・各人の役割と組織内での立場をはっきり区別するような、階級や肩書きの体系が求められる。

・マネジメント層を形成するマネジャーとプロフェッショナルに対して、要求内容に違いを設けてはいけない。マネジャーは、より多面的な責任や成果が求めれられるという一点を除いてはプロフェッショナルと変わらない。

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第4回 ドラッカー・読書会 2024年3月16日(兵庫県) - こくちーずプロ

P.F.ドラッカー『マネジメント 第29章』【要約】

-第29章 なぜマネジャーが必要なのか まとめ-

マネジャーは、企業を支える経営資源である。マネジャーがどれだけ優れたマネジメントをするか、どれだけ見事にマネジメントされるかによって、その会社が目標達成の可否も決まる。複雑さの増大に従って経営者としてマネジメントが必要となり、その成果しだいによって、企業が生き残るか消え去るかも決まってしまう。企業はマネジャーなしには存在できない。

 

本章からの抜粋は以下とした。

1. 企業にとってのマネジャーの重要性 ~ フォードの興隆、衰退、そして再生

・マネジャーは、企業の屋台骨を支える経営資源である。・・・(中略)・・・たいていの企業にとっては、マネジャーは何よりも高価な経営資源である。しかも、何より早く価値が衰えるため、頻繁に入れ替えなくてはならない。

・マネジメント・チームを育てるには何年もかかるが、少しのあいだ扱いを誤っただけで、期待通りの成果をあげなくなる。

・マネジャーがどれだけ優れたマネジメントをするか、どれだけ見事にマネジメントされるかによって、その会社が目標を達成できるかも決まる。というのも、働き手の姿勢は、マネジメント層の姿勢を映し出す。マネジメント層の能力や組織をじかに反映するのだ。

・マネジャーが上役との関係を第一に考えるのは正しい。マネジャーの地位就くと、企業業績への責任の一端を担うことになる。この責任を引き受けるよう期待されていない人は、マネジャーとは言えない。

2. ゼネラルモーターズGM)ー反証のための事例 ~ フォードの教訓

・フォードが「マネジャーは不要である」という考えを証明しようとしていたころ、ゼネラルモーターズの社長に就任したばかりのアルフレッド・P・スローン・ジュニアは、まったく逆の考え方を試し始めた。・・・(中略)・・・事業と組織はどうあるべきかを考え抜き、無規律な”封建領主”たちを経営チームへとまとめあげた。

・フォードの事例からは、経営者とマネジメントは、企業を支える独特の要素であり、決して欠かせないものである、という教訓が得られる。企業はマネジャーなしには存在できない、と断言できるだろう。

・ある時点からは、「自分の事業」を動かす状態から、「企業体」の経営への移行が起きる。つまり、従来とは異なる組織と原則が必要になる。経営者とマネジメントが欠かせなくなるのだ。・・・(中略)・・・マネジメントとはもともと、複雑な大企業のために考えられた仕組みなのだ。

3. 「相変化」としてのマネジメント

・オーナー創業者が「補佐役」に助けられながら会社を経営する段階から、マネジメントを必要とする段階へと変化する様子は、物理学でいう「相変化」に喩えることができる。

・企業はいつの段階で「外骨格」から「脊椎」へと相変化するのだろうか。従業員数でいえば、おそらく三〇〇人から一〇〇〇人のあいだだろう。だが、規模にもまして、複雑さの増大の方が大きな意味を持つと思われる。多彩な仕事を、うまくコミュニケーションを図りながら、歩調を合わせてこなすためには、経営者としてマネジメントが必要となる。さもなければ、コントロールが効かなくなる。・・・(中略)・・・ほどなく坂道を転げ落ちていく。

・(フォード他は)マネジャーを嫌った。その結果、マネジャーをうまく管理せず、適切な仕事を与えず、彼らの心に猜疑心やフラストレーションを芽生えさせた。組織づくりに失敗し、マネジメント層の人材を活かせないままに終わったのだ。従ってマネジメント層には、うまく仕事をこなすか、失敗するか、どちらかの道しかない。

・ただし、仕事そのものを避けるわけにはいかない。そして、その成果しだいで、企業が生き残って繫栄するか、あるいは衰退していずれ消え去るかが決まる。

 

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第3回 ドラッカー・読書会 in 兵庫 2024年2月17日(兵庫県) - こくちーずプロ

P.F.ドラッカー『マネジメント 第28章』【要約】

‐第28章 何より大切なのは、害を及ぼさないこと まとめ‐

組織を柱とした多元的社会のリーダーは組織の奉仕者であると同時に、リーダー集団として社会から認められている。つまり、所属組織の利益と公益、両方に仕えなくてはいけない。この点こそ、組織を柱とした社会ならではの倫理課題がある。マネジャーが必要とする責任倫理として「あえて害を及ぼさない」があげられる。これを守るのは決して容易ではない。しかし、地味で慎み深いからこそ、マネジャーが必要とする責任倫理としてふさわしいルールと考えられる。

 

*第Ⅱ巻が完了しました。第Ⅲ巻はいよいよ本丸、マネジャーの務めについてです。

 これからもよろしくお願いします。(筆者記)

 

本章からの抜粋は以下とした。

1. 企業人の倫理:誤った問い?

・企業や企業人の倫理をめぐっては、数えきれないほどの論説が世に出ている。だが、その大半は、ビジネスとも倫理ともまったく無縁である。・・・(中略)・・・ビジネスに特化した倫理などというものは存在せず、必要ともされていない。

・求められるのはただひとつ、企業エグゼクティブかどうかにかかわらず、誘惑に負けたものに厳しい罰を与えることである。

・顧客をもてなすためにコールガールを雇うという行いは、倫理ではなく美学や感性の問題である。「ひげを剃ろうとして鏡を見たら、そこにポン引きが写っていてもいいのか」ということが、ことの本質である。

2. リーダー層の一員ではあるがリーダーではない

・マネジャーに特有の倫理課題があるとすれば、その背景には、組織のマネジャーは全体として、組織を柱とした社会のリーダー層を形成している、という事情がある。ただし、各マネジャーを個人として見る場合は、あくまでも一人の企業人にすぎない。

・リーダー層を形成するひとりひとりのマネジャーに関しては、何が責任で、何が倫理なのだろうか。

3. 何より大切なのは、害を及ぼさないこと

・プロフェッショナルにとっての第一の責任は、二五〇〇年も前にギリシアの医師ヒポクラテスが、「ヒポクラテスの誓い」として明確に宣言した。ヒポクラテスは、「何より大切なのは、害を及ぼさないことだ」と述べたのである。

・マネジャー、とりわけ企業経営者がいまだに気づいていない、重要なことがらがある。自律性を求められ、私的な存在であることを許されるためには、職業倫理上の責任を自身に課さなくてはいけない、という点である。意図して害を及ぼすことがないように、みずからの言動を律するのが自分たちの務めなのだと、学ばなくてはいけない。

・マネジャー、特にアメリカのマネジャーは、以下に関して無意識のうちにルールを破る傾向がある。

  1. 幹部の報酬
  2. 従業員に「手かせ」をはめる目的での福利厚生プラン
  3. 利益についての大言壮語

・組織を柱とした多元的社会のリーダーは、これら組織の奉仕者なのだ。同時に彼らは、リーダー集団として社会から認められている。あるいは、社会から、主なリーダー層へと押し上げられるだろう。彼らは、所属組織の利益と公益、両方に仕えなくてはいけないのだ。

・最近では、社会的責任を宣言する際に「立派な見識」がしきりに叫ばれるが、それに比べて「あえて害を及ぼさない」はいかにも生ぬるいと思われるかもしれない。しかし、古の時代の医師が悟ったとおり、これを守るのは決して容易ではない。地味で深いからこそ、マネジャーが必要とする責任倫理としてふさわしいルールなのだ。

 

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第3回 ドラッカー・読書会 in 兵庫 2024年2月17日(兵庫県) - こくちーずプロ

P.F.ドラッカー『マネジメント 第27章』【要約】

-第27章 企業と政府 まとめ-

第3節「指針」が実質のまとめのため割愛。

 

本章からの抜粋は以下とした。

1. 社会的責任の重要分野 ~ モデルと現実

・企業にとって、政府との関係は、あらゆる関係性のなかで最も重要である。・・・(中略)・・・企業と政府の関係は、社会問題でもある。なぜなら、すべての主要国において、企業と政府のあいだには溝が出来ているのだ。

・いずれは、組織を柱とした社会の現実やニーズにふさわしい、新しい政治理論が必要となるだろう。

・暫定的な解決策を考え出し、それを見守るのは、主としてマネジャーの仕事である。・・・(中略)・・・このような責任を果たすためには、マネジャーは何より、政府と産業の関係の裏にある歴史的背景を理解しなくてはならない。

・政府と産業の関係の指針となったのは、二つのまったく異なる政治モデルだった。重商主義立憲主義である。

重商主義モデルにおいては、経済は政治的支配力、とりわけ国の軍事力の土台とされ、国の経済と主権は重なり合うものだと考えられた。・・・(中略)・・・立憲主義モデルは、十九世紀に主としてアメリカで発展した。このモデルでは、政府は基本的に企業と対立関係にあるとされる。

重商主義立憲主義はともに、政治や行政に関する机上のモデルである。あくまでも「べき論」を示したものであり、現実は常に、モデルの掲げる理想にははるかに及ばない。

2. 新たな課題

・新たな課題のうちで何よりも重要なもの、少なくとも何より顕著なものは、以下の要因にによって引き起こされてきた。

  1. 混合経済
  2. 多国籍企業
  3. 政府の相対的地位の低下
  4. 専門的経営者の台頭

3. 指針

・たとえ解決策が見つからず、新しい政治理論も、より適切な新モデルもなかったとしても、個々の問題には対処しなくてはならない。求められるのは「要件」である。

  1. 社会において経済を担う組織、つまり企業とその経営者には、①経済の利益のために、②政府が強大な力をもって高い成果をあげるために、③社会の利益のために、自律性と責任が欠かせない。
  2. 政府が健全に機能すること
  3. 多国籍企業に)何が求められているかといえば、文字どおりの世界経済と政治主権を平和的に共存させ、両方が守られるような関係性を考え出すこと
  4. 政府と企業の関係をじっくり考える必要があるが、それは、企業が危機に瀕しているからではない。深刻な危機に陥っているのは政府である。・・・(中略)・・・具体的な問題への・・・(中略)・・・答えは、以下のような最低限の要件を満たしているべきである。➀企業とそのマネジメント層の自律性と責任を保つ、②自己革新の力を持った、自由で柔軟な社会を守る、③多国籍企業が活躍する世界経済と、国民国家の主権とを、うまく調和させる、④政府が力を発揮して成果をあげるよう後押しする。

 

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第3回 ドラッカー・読書会 in 兵庫 2024年2月17日(兵庫県) - こくちーずプロ

P.F.ドラッカー『マネジメント 第26章』【要約】

‐第26章 社会的責任を縛るもの まとめ‐

経営者は自分がマネジメントする組織に仕えており、何よりもまず、その組織に責任を負うべきである。彼らの第一の務めは、組織が役割を果たし、存在目的を達成できるようにすることである。何よりも無責任なのは、社会的責任という謳い文句のもと、能力不足や権限の逸脱により、組織が十分な成果をあげられなくなること。そのような社会的責任を求められた場合は、断じてノーとはねつけるべきである。

 

本章からの抜粋は以下とした。

1. 経営者の第一の責任

・経営者は僕(しもべ)である。彼らは、自分がマネジメントする組織に仕えているのだ。このため、何よりもまず、その組織に責任を負うべきである。彼らの第一の務めは、組織が役割を果たし、存在目的を達成できるようにすることであり、これは企業、病院、大学など、どの組織においても同じである。

・組織がその具体的使命を十分に果たすことは、社会の第一のニーズであり、関心事項でもある。

・企業の経営者がこれを検討するためには、自社の主要分野における目的が何であるかを心得ておく必要がある。というのも、目標からは、企業が使命を果たすための最小限の業績水準が導き出せるのだ。

・最近では、「企業は優れた成果をあげるだけでは足りず、優れた行いをしなくてはいけない」などという言葉をしきりに耳にする。しかし、「優れた行い」をするためには、まずは「優れた成果」をあげなくてはならない。というより、「きわめて優れた成果」をあげなくてはいけない。

・企業が、「経済面の成果をあげる」という役割をおろそかにして、経済的に賄えないほどの社会的責任を果たそうとした場合には、すぐに苦境に陥るのが常である。

・このような社会的責任の限界は、企業外の組織にも当てはまる。このため経営者やマネジャーには、成果をあげる能力を組織から失わせないようにする義務がある。たとえどれほど高尚な動機に根差していても、この能力を損なったのでは、無責任だということになる。

・このような主張は極めて受けが悪く、「革新的」な主張の方がはるかに好まれる。しかし、マネジャー、とりわけ社会の中核的な組織のマネジャーは、マスコミから英雄扱いされるために報酬を得ているのではない。責任を果たし、成果をあげるために報酬を与えられているのだ。

2. 能力の限界

・能力の限界を顧みずに仕事を引き受けるのは、無責任であるばかりか、信義にもとる。・・・(中略)・・・特に、理念にそぐわない課題に挑むのは、やめておいた方がいいだろう。

・経営層はせめて、自分たちと組織が何を不得手としているかを心得ていなくてはいけない。企業は一般に、「目に見えない」分野では全く分が悪い。企業の強みは、責任が明確で成果を測定できる分野にこそある。市場の検証、生産性の尺度、必要な収益性への要請といった縛りのある分野こそ、企業の土俵なのだ。

・「社会問題に対処するように」という求めに応じようとするなら、腰をあげる前に、解決に必要な仕事のうちどの部分に組織の能力を生かせるかを、じっくり検討した方がよい。・・・(中略)・・・たいていの分野に関しては、答えは「ノー」だと思われる。その場合には、問題がどれほど重要であっても、対処への要望がどれほど切実なものであっても、企業としては断った方がよい。対処に乗り出したところで、社会にも、自社にも、害をもたらすだけである。成果が上がらない以上、責任を果たせるはずがないのだ。

3. 権限の限界

・社会的責任を果たそうとするうえで何よりも大きなネックになるのは、権限上の制約である。憲法の専門家なら知っているはずだが、政治の世界では「責任」という言葉が単独で用いられることはない。必ず「責任と権限」というように、権限と対になって使われるのだ。

・企業の責任を問う声があがったら、そのつど「企業には、それにふさわしい権限があるだろうか。それを持つのが筋だろうか」と考えてみるべきだ。多くの分野では、企業は権限を持つべきではなく、権限がないのであれば、責任の有無についても大いに疑ってみるべきだろう。あるとすれば、それは責任ではなく、権力欲である。

自由社会においては、政府の政策によって容認あるいは奨励された活動であっても、企業はそれに携わる必要はない。距離を置いても構わないのである、ただし、政府の代わりを果たすことは、断じて認められない。経済力を盾に、自分たちの価値観を地域社会に押し付けることも、容認できない。・・・(中略)・・・企業は、権限のない分野にまで踏み込んではいけない。それは「帝国主義」である。

4. 「ノー」と言うべき局面

・企業などの組織は、権限の濫用にあたるような社会的責任を求められたら、はねつけるべきである。それが組織のためなのだ。

・組織が果たす最大の貢献、最大の社会的責任は、本来の務めをまっとうすることだ。何よりも無責任なのは、社会的責任という謳い文句のもと、能力不足を顧みずに、あるいは権限を逸脱して、本来とは異なる仕事に手を出し、十分な成果をあげられなくなることである。

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第3回 ドラッカー・読書会 in 兵庫 2024年2月17日(兵庫県) - こくちーずプロ

P.F.ドラッカー『マネジメント 第25章』【要約】

-第25章 社会への影響と社会的責任 まとめ-

現代の組織は社会に具体的に奉仕するために存在している。自分たちがまわりに影響を及ぼしたなら、それが意図の有無に関わらず、経営層は責任を負わなくてはならない。また、社会問題は国を退化させるおそれのある、ある種の病ではあるが、これは事業機会でもある。「問題の解決を事業機会につなげるには、どうすればいいか」と自問自答すること。つまり、変化をイノベーション、つまり新しいビジネスへとつなげることもマネジメントの務めである。

 

本章からの抜粋は以下とした。

1. 影響への責任 ~ 社会的影響への責任

・組織はみな、二種類の責任を負う。ひとつは、組織そのものが社会に与える影響から生じる責任。もうひとつは、社会が抱える矛盾から生じる責任である。

・現代の組織は、社会に具体的に奉仕するために存在している。このため、社会に身を置いている必要がある。

・社会が病んでいては、企業も、大学も、病院も健全ではいられない。たとえ、社会の病根が自分たちとはいっさい関係がなかったとしても、社会を健全な方向へ導くことが、経営層の自己利益につながる。

・自分たちがまわりに影響を及ぼしたなら、それが意図したものであろうとなかろうと、やはり責任を負わなくてはならない。組織が社会に与える影響に関して、経営層には確実に責任がある。それに対処するのが経営層の務めである。

・企業は、自分たちが社会に及ぼす影響に責任があるのだから、それを最小限に抑えようとするのは当然だろう。

・「世の中は反対していない」という理屈は通らない。まして、問題に取り組むための方策は受けが悪そうだ、同僚たちから反対されそうだ、要求を受けていない、などというのは十分な弁明にならない。いずれ社会は、組織の影響を、自分たちを脅かす敵とみなすだろう。

2. 社会への影響を見極める ~ 影響にどう対処すべきか

・組織の上層部はまず、現実的な視点から冷静に社会への影響を見極め、予測しなくてはいけない。「われわれの行いは正しいのだろうか」ではなく、「社会や顧客が支払う対価に見合った行いをしているだろうか」と自問自答しなくてはいけない。

・「新しい技術の影響は見通すことが出来る」などと思い違いをすると、本当に大切な仕事を軽んじかねないという、深刻な危険がある。

・最初の第一歩は、組織が意図せずに社会に与える影響を見極めることだ。そのためには、どのような手法があるのだろうか。目標ははっきりしている。社会、経済、地域、個人への影響のうち、組織の目的や使命から外れたものは最小限にとどめ、できればなくすべきである。

・原因となる活動をやめれば影響が消えるのなら、活動をやめるのが最善の解決策、いや、本当の意味で望ましいただひとつの解決策である。

3. 規制が必要とされる局面 ~ トレードオフ

・自社の影響を取り除き、それを事業機会に変える取り組みは、常に行われるべきである。ただし、それができないケースも多い。・・・(中略)・・・これに対処するためには、ほとんどの場合、規制、つまり何らかの公的措置を導入するほかない。

・企業だけでなくあらゆる組織の上層部は、この責任を避けてきた。これまで一貫して、「規制はないに越したことはない」という考え方が主流だったのだ。しかし、これが当てはまるのは、組織の影響を事業機会に変えられる場合だけである。

・費用と便益のバランスが最適になるように、判断を下さなくてはいけない。産業界に身を置く人なら、たいていはこの点を理解している。しかし、産業界の外では誰もこれを理解しておらず、トレードオフを度外視した解決策を考えがちである。

・社会への影響には、経営層が責任を負わなくてはいけない。とはいっても、それが社会的な責任だからではない。事業場の責任だからである。

4. 社会問題の中に事業機会を見出す

・社会問題はいわば機能不全であり、国を退化させるおそれがある。ある種の病なのだ。ところが、組織、とりわけ企業の上層部にとっては、これは事業機会でもある。

・変化をイノベーション、つまり新しいビジネスへとつなげるのが、企業の仕事である。

・社会問題の解決をとおして事業機会を生み、そこから成果や貢献を引き出す試みは、決して企業だけに限られるものではない。組織を柱としたこの社会においては、これはあらゆる組織の責任なのである。

・正しい解決策はどれも、後から見れば「当然」なのだ。重要なのは、これらの人物とその会社が大きな社会問題に目を留め、「問題の解決を事業機会につなげるには、どうすればいいか」と自問自答したという事実である。

5. 社会の「退行性疾患」

・社会問題も、マネジメント活動をとおして事業機会に変えれば、そぐに問題ではなくなる。ただ、手つかずのまま放置すると、不満はいつまでもくすぶり、悪くすると「退行性疾患」を招く。

・では、社会問題が慢性化したり、社会を蝕んだりした場合、経営層はどのような社会的責任を負うのだろうか。これらはマネジメント上の問題であり、企業を健全に保つのは経営層の責任である。

・「目を逸らしていれば、そのうちに問題は解決するだろう」などと期待するのは、馬鹿げている。誰かが行動を起こさないかぎり、問題は解決しない。

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第3回 ドラッカー・読書会 in 兵庫 2024年2月17日(兵庫県) - こくちーずプロ

P.F.ドラッカー『マネジメント 第24章』【要約】

‐第24章 マネジメントと生活の質 まとめ‐

今日ではマネジャーが主要なリーダーとして台頭したことや、政府への失望が広がったこと、生活の量から質へと重点が移るといった変化が生じた。そのため、マネジャーに対して「社会への配慮を中心に据えて事業を展開するように」という要請が生まれている。この要請に応えるためには、マネジャーは新しい発想や行動様式を身につけなければならない。即ち、「社会への影響や社会的責任については、大企業だけでなくすべての企業が、自分たちの役割をじっくり考え、目標を掲げ、成果を上げなくてはいけない」という発想であり、社会への影響と社会的責任はマネジメントする必要がある。

 

本章からの抜粋は以下とした。

1. 「社会的責任」の意味が変わった ~ 背景にあるもの

・「企業の社会的責任」の意味するところは、一九六〇年代初め以降、大きく変化してきた。企業の社会的責任をめぐる議論は従来、大きく三つの分野に焦点を当てていた。

  1. 私的な倫理と公的な倫理の関係
  2. 雇用主は権力と富を持っているのだから、従業員たちに社会的責任を負う
  3. 「経営者は、率先して地域の『文化』を振興すべきだ」と主張したり、経営者にそのような役割を負わせたりするために用いられた

・ところが近年では・・・(中略)・・・「社会の問題に挑み、解決するうえで、企業は何をすべきか、何ができるか」に焦点を当てる傾向を強めている。

・「社会的責任を果たすべきだ」という要求は、成功の代償としての意味合いが強い。

・今から三〇年ほど前、第一次世界大戦の前後には、貧困状態は人類につきものだとされていた。・・・(中略)・・・発展はあくまでも例外と見なされた。・・・(中略)・・・ところが今日では、発展のない状態は例外であり、「問題」だと見なされる。

・わたしたちが生活の質についてあれこれ考えるのは、きわめて大きな成功の証なのである。リーダー層は、量の面で人々の生活を向上させることに責任を負っているのだから、その彼らに生活の質を向上させる責任をも期待するのは、ごく自然でまっとうな発想である。

2. 政府への失望 ~ 公民権運動とクエーカー教徒の良心

・それに加えて、政府への失望が広がっている。大きな社会問題を解決できずにいる政府に対して、能力への疑念が湧き上がっているのだ。

・以上から、マネジメント層に「社会的責任を果たすように」という要求が寄せられているのは、彼らが社会のリーダー的地位に就いたことを背景にしているのだと言える。

・マネジャーが社会の主要なリーダー層として台頭し、政府への失望が広がり、生活の量から質へと重点が移る、といった変化が生じたため、マネジャー、とりわけ企業のマネジャーに対して「社会への配慮を中心に据えて事業を展開するように」という要請が生まれている。

・この要請に応えるためには、マネジャーは新しい発想や行動様式を身につけなければならない。従来のやり方では対処できず、広報だけでも不十分なのである。

・社会的責任をめぐる真の問題は何かといえば、それは無責任、拝金主義、無能なのではない。・・・(中略)・・・善良な意図、立派な行い、強い責任感などが、誤った方向へと進んでしまうことこそが、真の問題なのである。

・この章で紹介した事例が何らかの教訓を与えてくれるとすれば、それは、社会的責任はあいまいでリスクが大きい、ということではない。「社会への影響や社会的責任については、大企業だけでなくすべての企業が、自分たちの役割をじっくり考え、目標を掲げ、成果を上げなくてはいけない」という点こそが教訓である。

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第3回 ドラッカー・読書会 in 兵庫 2024年2月17日(兵庫県) - こくちーずプロ

P.F.ドラッカー『マネジメント 第23章』【要約】

‐第23章 人材こそ最大の資産である まとめ‐

組織の目的は人材の強みをテコにして生産性を高め、弱みによる悪影響をかわすことにある。しかし、経営資源のなかで最も活用度が低いのが人材であり、人材の可能性はほとんど埋もれたまま仕事に活かされていない。経営者やマネジャーが人材マネジメントを超えて、リーダーシップを発揮していく要点としては以下を考えること。

(1)業務と働き手に責任を伴わせ、実績の上がる仕組みをつくること

(2)部下たちを、自分の「情報源」「知恵袋」として扱うこと

(3)適材適所を見極め、場違いを正すこと

 

本文からの引用は以下とした。

1. 威信と権力の混同 ~ 分権化の教訓

・これまでに紹介してきた手法について読んだり、学んだりした経営者は例外なく、「その通りだ」と言いたげにうなずくだろう。ところが、その中身を実地に活かしている人は一握りにすぎない。

・経営者が「働き手の達成意欲を満たす」という課題に正面から向き合おうとしないのは、主として権力と権威をうまく区別できていないからだろう。・・・(中略)・・・働き手に責任を持たせることは、自分たちの威信を手放すように思える。

・権力と威信はべつものである。経営層は権力を持たない。ただし、責任は負っている。そして、その責任を果たすという目的にかぎり、威信を必要とし、それをもたなくてはならない。

・「分権化はむしろ経営トップの力を強める」という理解が、経営者のあいだで広まっている。仕事を効果的に、より鮮やかにこなせるようになり、ひいては威信も高めるのだ。

・経営層の威信失墜を喰い止め、復権へと導くうえでは、トップ主導のもとで働き手に責任を与えることが欠かせない。威信が崩れれば、マネジメント層はうまく役割を果たせなくなり、ひいては組織も機能不全に陥りかねないのだ。

2. マネジメント層への要求

・二〇年ほど前、経営トップ層のあいだに分権化への反発が広まったが、これにはもうひとつ理由があった。分権化が進むと、それに応じて、経営トップへの要求水準が高まっていったのだ。

・責任を負わせておきながら、自分は涼しい顔をしていたのでは、意味がないばかりか、無責任である。

・いい加減な上司ほど、部下たちのモチベーションを削ぐものはない。働き手は上司に対して、自分たちが知恵を働かせて生産性を上げ、よい仕事をするためのお膳立てを期待し、求める。実際のところ働き手は、上司に真剣さと有能さを求める権利を持つ。

・とはいえ、完璧を期待しているのではない。上司も人間であるということは、彼らにもわかっている。だが、自分たちが仕事に責任を負う以上は、マネジャーに対しても、プランニング、目標の設定と優先順位づけ、課題の検討と基準の設定など、本来の役割を果たすように求める。そして何より、自分の仕事と成果に責任を負うよう、強く求めるのだ。

3. 人々を率いていく ~ 人事管理

・働き手に達成感を得させるためには、マネジャーは部下を、厄介ごとや費用の源として、あるいはなだめすかすべき相手としてではなく、経営資源としてみなす必要がある。人材の強みを引き出す責任を受け入れる必要がある。これはつまり、「人材のマネジメントする」という姿勢から抜け出して、「人材を率いていく」へと、発想を大きく転換するという意味である。

・人材マネジメントの分野では従来、三つのアプローチが取られている。

  1. 福祉的アプローチ
  2. 管理を主眼に置いたアプローチ
  3. 費用や驚異の源と捉えるアプローチ

・温情主義は、たとえどれほど成果をあげたとしても、人材をマネジメントするための手法とは言いがたい。あくまでも、人材を助けるための手法なのである。・・・(中略)・・・あくまでも急場しのぎの方策である。・・・(中略)・・・これをいつまでも使いつづけ、「究極の答えだ」などと勘違いすると、いずれ経営層と働き手、企業、経済、社会はみな、手足を縛られるだろう。

・人事管理を怠ってはいけない。これを怠ると、組織は深刻な機能不全に陥る。

・人材マネジメントの本質は、人材への対処に失敗した場合に、その始末をつけることにある。・・・(中略)・・・(対して)人材をマネジメントするとは、働き手の強みをうまく引き出すことを意味する。

・組織の狙いは、働き手の強みをテコにして生産性を高め、人材の弱みによる悪影響をかわすことにある。

4. 人材こそわれわれの最大の資産である

・経営者は「人材こそわれわれの最大の資産である」と好んで口にする。組織によって何か実質的な違いがあるとすれば、それは人材がどれだけの成果をあげるかだけだ。・・・(中略)・・・あらゆる経営資源のなかで最も活用度が低いのが人材であり、人材の可能性はほとんど埋もれたまま仕事に活かされていない。

・仮に会計上、人材が「設備投資」と扱われていたなら、人材に対する考え方は今とは大きく違っていたはずである。

・人材をマネジメントする方法

  1. 業務と働き手に責任を伴わせ、実績の上がる仕組みづくりをしなくてはいけない。
  2. マネジャーは部下たちを、自分の「情報源」「知恵袋」として扱わなくてはいけない。自身の業務について、部下たちに意見を求めるのだ。
  3. 適材適所の見極め

・成果の思わしくない人材も、往々にして、いや、おそらくたいていの場合は、「役立たず」ではない。仕事や職場との相性が悪いだけ、つまり場違いなだけである。・・・(中略)・・・どのような職場であれば生産性や効果をあげられそうかを考え、転身を勧めるのも、マネジャーの仕事である。

・これは、最初の一歩にすぎないとはいえ、経営者やマネジャーがたんなる人材マネジメントを超えて、リーダーシップを発揮して人材を率いていくための、きっかけとなるはずだ。

P.F.ドラッカー『マネジメント 第22章』【要約】

‐第22章 雇用、収入、福利厚生 まとめ‐

働き手が責任を引き受けるうえでは、雇用と収入がかなりの程度まで安定している必要がある。また、福利厚生は企業の収益性と働き手のニーズをうまく結びつけることのできる分野でもあり、経営層は従業員の福利厚生に責任を負わなくてはいけない。求められる福利厚生制度は以下の四点に考慮すること。

  1. 従業員に対する、費用対効果が最も大きくなるように便益を与えること
  2. 最低給付水準を決めておくこと
  3. 福利厚生全体の負担金額を決め、その枠内で従業員のニーズに合った給付をいくつか組み合わせること
  4. 福利厚生制度の運用は職場コミュニティに委ねること

 

本章からの抜粋は以下。

1. 雇用の保障と収入の安定 ~ 体系的な就職・転職支援の必要性

・働き手が責任を引き受けるうえでは、雇用と収入がかなりの程度まで安定している必要がある。・・・(中略)・・・ところが、経営層はおおむね、雇用、収入、福利厚生のマネジメントを怠ってきた。受け身で対応してきたにすぎない。だが、本来、これらの責任はまさに経営層が果たすべきである。マネジメントの務めなのだ。

・生産性の向上やイノベーションに抵抗するのは、職を失うという不安だけが理由ではない。誰かが高い達成意欲を示すと、そのせいで他の者が職からあぶれるのではないか、という不安も働いており、これも見逃せない要因である。

・法律あるいは制度の上で雇用や収入を保障しても、それだけでは十分ではない。働き手に安心して責任を引き受けてもらうためには約束に現実味が伴っている必要があるのだ。

・今も求められるのは、第一に、保障がなされているという事実を、納得を引き出す形で明快に示すことであり・・・(中略)・・・第二に、経済、企業、就労者は人材の流動性を求めており、これを手当てしなくてはならない。

 

2. 利益、生産性、福利厚生 ~ 福利厚生のあるべき姿とは

・福利厚生こそ、企業の収益性と働き手のニーズをうまく結びつけることのできる分野である。

・本当に求められるのは、会社の利益や生産性に応じて、年ごとに給付の内容を変動させる制度である。

・大多数の企業では、福利厚生は給与・賃金と原材料に次いで三番目に大きな費目となっている。にもかかわらず・・・(中略)・・・福利厚生全体としてのマネジメントは手薄である。

・福利厚生のあるべき姿については、以下のように具体的にまとめることが出来る。

  1. 受益者である従業員に対して、費用対効果が最も大きくなるように便益を与えるべきである。
  2. 最低給付水準を決めておく必要がある。
  3. プランごとに拠出額を決めるよりも、福利厚生全体の負担金額を決め、その枠内で従業員の層別に、ニーズに合った給付をいくつか組み合わせて提供した方がよい。
  4. 福利厚生制度の運用は、できるかぎり職場コミュニティに委ねるのが望ましい。

・人件費に占める福利厚生費の比率は、定価ではなく上昇する可能性が大きい。・・・(中略)・・・このため、経営層は従業員の福利厚生に責任を負わなくてはいけない。

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第2回 ドラッカー読書会 - 働く戦闘力を解放する