P.F.ドラッカー『マネジメント 第24章』【要約】

‐第24章 マネジメントと生活の質 まとめ‐

今日ではマネジャーが主要なリーダーとして台頭したことや、政府への失望が広がったこと、生活の量から質へと重点が移るといった変化が生じた。そのため、マネジャーに対して「社会への配慮を中心に据えて事業を展開するように」という要請が生まれている。この要請に応えるためには、マネジャーは新しい発想や行動様式を身につけなければならない。即ち、「社会への影響や社会的責任については、大企業だけでなくすべての企業が、自分たちの役割をじっくり考え、目標を掲げ、成果を上げなくてはいけない」という発想であり、社会への影響と社会的責任はマネジメントする必要がある。

 

本章からの抜粋は以下とした。

1. 「社会的責任」の意味が変わった ~ 背景にあるもの

・「企業の社会的責任」の意味するところは、一九六〇年代初め以降、大きく変化してきた。企業の社会的責任をめぐる議論は従来、大きく三つの分野に焦点を当てていた。

  1. 私的な倫理と公的な倫理の関係
  2. 雇用主は権力と富を持っているのだから、従業員たちに社会的責任を負う
  3. 「経営者は、率先して地域の『文化』を振興すべきだ」と主張したり、経営者にそのような役割を負わせたりするために用いられた

・ところが近年では・・・(中略)・・・「社会の問題に挑み、解決するうえで、企業は何をすべきか、何ができるか」に焦点を当てる傾向を強めている。

・「社会的責任を果たすべきだ」という要求は、成功の代償としての意味合いが強い。

・今から三〇年ほど前、第一次世界大戦の前後には、貧困状態は人類につきものだとされていた。・・・(中略)・・・発展はあくまでも例外と見なされた。・・・(中略)・・・ところが今日では、発展のない状態は例外であり、「問題」だと見なされる。

・わたしたちが生活の質についてあれこれ考えるのは、きわめて大きな成功の証なのである。リーダー層は、量の面で人々の生活を向上させることに責任を負っているのだから、その彼らに生活の質を向上させる責任をも期待するのは、ごく自然でまっとうな発想である。

2. 政府への失望 ~ 公民権運動とクエーカー教徒の良心

・それに加えて、政府への失望が広がっている。大きな社会問題を解決できずにいる政府に対して、能力への疑念が湧き上がっているのだ。

・以上から、マネジメント層に「社会的責任を果たすように」という要求が寄せられているのは、彼らが社会のリーダー的地位に就いたことを背景にしているのだと言える。

・マネジャーが社会の主要なリーダー層として台頭し、政府への失望が広がり、生活の量から質へと重点が移る、といった変化が生じたため、マネジャー、とりわけ企業のマネジャーに対して「社会への配慮を中心に据えて事業を展開するように」という要請が生まれている。

・この要請に応えるためには、マネジャーは新しい発想や行動様式を身につけなければならない。従来のやり方では対処できず、広報だけでも不十分なのである。

・社会的責任をめぐる真の問題は何かといえば、それは無責任、拝金主義、無能なのではない。・・・(中略)・・・善良な意図、立派な行い、強い責任感などが、誤った方向へと進んでしまうことこそが、真の問題なのである。

・この章で紹介した事例が何らかの教訓を与えてくれるとすれば、それは、社会的責任はあいまいでリスクが大きい、ということではない。「社会への影響や社会的責任については、大企業だけでなくすべての企業が、自分たちの役割をじっくり考え、目標を掲げ、成果を上げなくてはいけない」という点こそが教訓である。

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